薬師堂
影向寺は、奈良時代の天平12年(740)、聖武天皇の命を受けた僧行基によって開創されたと伝えられていますが、近年の発掘調査の結果、創建の年代は白凰時代末期(7世紀末)にまで遡ることが明らかになりました。現在の薬師堂は、創建当時の堂宇とほぼ同じ位置にあり、江戸時代中期の元禄7年(1694)に建立されました。棟梁は橘樹郡稲毛領清沢村(現在の高津区千年)の大工・木嶋長右衛門直政です。
薬師堂の規模は万5間で、寄棟造の茅葺(現在は銅板葺)の屋根をあげ、正面1間に銅板瓦捧葺の向拝を付けています。内部は、前面2間を信徒の入る外陣、後方3間を神聖な空間である内陣、その両側を脇陣とし、特に、内陣・外陣・脇陣の境を中敷居と格子によって厳重に結界するのは中世以来の密教本堂の形式を伝えるもので、薬師堂の大きな特徴です。また、堂の形式・建具・軒などの外観の基本を和様としながらも、柱上部などに禅宗様の意匠を採用しています。
薬師堂は、間口3間の厨子(元禄7年造立)などとともに、昭和52年8月19日、神奈川県の重要文化財に指定されました。
薬師堂内景