二天像・十二神将立像
木造二天像
平安時代後期
両像とも一木造で彫眼とし、表面の彩色や台座、光背はあとから補ったものです。神将形の像を二体一組で二天として祀る例は奈良時代からみられ、左右相称で、片手を上げもう一方の手を腰に当てる形が多いです。本像は口の開閉、踏み上げる足、腰の捻る向きなど形姿がきちんと対になるように造られており、当初から二天として製作されたと考えられます 。
木造十二神将立像
南北朝時代
各像ともヒノキ材で造られ、当初は胡粉下地の彩色であったとされています。十二神将は薬師如来の脊属とされ、各々名称が定められています。また中世になると、各神将と十二支を組み合わせるようになっていきますが、それは必ずしも一定したものにはなりませんでした。